3/30 5km 26:35
走るという行為は、早さを競っているのではなく、移動速度を競っていて、いかにリズミカルに自分をドリブルさせるようにするかで速度が決まっている。
よくリラックスは力を抜くことだと思われているが、肝心なところがしっかりと支えられていなければ力は抜けない。リラックスは身体動作におけるMECEに近い。https://t.co/rjkqsDNVR9 https://t.co/rjkqsDNVR9
— Dai Tamesue (為末大) (@daijapan) 2019年3月25日
為末さんの連載「私のパフォーマンス理論」がおもしろいです。
「ドリブル」という表現には痺れました。
私も指導の際に、脚や腕を振り子のように振ってもらって、力を入れるタイミング、抜くタイミングをアドバイスします。
脱力が苦手な人は振り子運動の全てのフェーズで力を入れてしまうのでスピードとパワーが出ませんし、脱力が得意な人と比べると余計に疲れてしまいます。
「ドリブルさせるように」するとは、振り子運動にどんどんと力が蓄積されて小さな力で大きく脚を振れる(回転できる)ようになってきます。
私は「振り子」とか「遠心力」という言葉をよく使っていましたが「ドリブル」という言葉は全く思い浮かんだことがなく目に鱗でした。
「ドリブルする」ではなくて、「ドリブルさせる」と表現しているところにも感嘆しました。
私はリラックスしたいという人間がいればまず適切な立位状態を作りそれを維持できるように、スクワットや体幹に近い部分のトレーニングを進める。その際にまず顎の力を抜いたり、足の指の力を抜いたり、いくつか部分的に力を抜いて遊ぶことを進める。結果として動きの中で何が必要で何が不必要かを体で学べるようになる。遠回りのようだがこうした繰り返しの先にリラックスがある。リラックスは効率化の結果であり、中心がくっきりした場合に生まれる現象だと私は考えている。
ぜひご一読を。